かつて多くの芸術家が集ったハイカラ・新開地を伝える名喫茶
かつて"女神像のある喫茶店"で通っていた『歌舞伎』。震災後、店は姿を変えてしまったが、クラッシックが流れる2階建てのフロアには、壁のレリーフや手彫りの装飾を施した椅子など、当時の姿を知る人にとっては懐かしい一軒だろう。
創業者は昭和2年に喫茶店を始めたが戦前に売却。昭和24年、新たにここを開店した。「祖父は『エデン』の先代や、芸術家が集った『リリック』の主とも仲良かったらしいから、新開地の名うてのハイカラ人士だったでしょうね」。とは、現在3代目のマスター。
芸術家の支援にも熱心で、店に集う彼らに制作を頼むこともあった。中でも画家・中西勝さんは、銭湯で使う桶を貸したりしていた間柄で、マッチの意匠も手がけている。
「ハイソな祖父は憧れで、もう一度、新開地で祖父が始めた頃のような店にするのが夢」と言うマスター。今も、夜の音楽はクラッシックを流しているという。
街は変わっても、憩いの場であり続ける喫茶店。そこで過ごした人たちの思い出と店主の心意気は、何気ない日常の中で静かに、でも確実に受け継がれている。